2016年11月25日金曜日

ホタルになった歯車

 毎日工場の中で、機械たちが忙しく働いていました。ここはある町の自動車部品工場です。
ガチャン、ガチャンとプレスたちが元気よく動いています。ベルトコンベアーも慌ただしく製品を運んでいました。
「ああ、忙しい、忙しい。少しは休みたいなあ」
機械たちはみんな口々に言い合いました。
 思えば、ずいぶん昔、新品の機械としてこの工場へ連れてこられて以来、みんな毎日働きぱなしでした。油の匂いがぷんぷんする賑やかな工場の中で機械たちは働いてきました。
 工場の隅に置かれた大型の背の高い機械の中の歯車たちなどは、一度も外の景色も、太陽の光も見たことがなかったのです。もうかれこれ二十年以上も、薄暗いこの場所で、油にまみれて働いていたのです。
 工場長はよくみんなに向かって話します。
「君たちの仕事ぶりはじつに感心だ。君たちの労働によって作られた製品が世の中に出て、みんなが豊かに暮らしている。仕事こそ第一だ。じゃあ、今日も頑張って作業をしてくれ」
 いつもこのせりふを聞かされてみんな働いてきました。若い機械たちは、その言葉に励まされて毎日元気よく仕事をしますが、中年を過ぎた老朽化した機械たちは、その話を聞くたびにうんざりするのでした。
 この工場の壁の真ん中には、仕事の達成を示すグラフが張り付けてあります。隣にも別の工場のグラフも一緒に張られていて、互いに競争心を煽るために使われていました。成績の悪い工場には上からおしかりがありました。
 あるとき、工場長がこんなことをいいました。
「ここ数年来、鉄鉱石の値が上がっている。新しい機械が調達できないから、機械を大切に使うように。歯車の取り換え時期も遅らせる」
 こんなことをいいました。普通だったら、老朽化した歯車なんか新しいのと取り替えて、役目を終えるのですが、そうではないのです。
 定年退職を楽しみに待っていた歯車たちは、みんながっかりしました。中には働きたいという頑強な歯車もいましたが、だいたいがみんな疲労でフラフラでした。
 あるとき、いつも不満を口にしていた歯車が、「おれはもう働かない」といって動かなくなりました。すぐに工員が飛んできて、ハンマーでコンコンと何度も叩きました。その歯車はあまり腹がたったのか、あるとき逆回りをして、機械を壊してしまいました。
 その歯車は取り外されて、工場の中庭にあるゴミ捨て場に捨てられました。この職場でゴミ箱行きになるということはたいへん不名誉なことでした。みんなゴミ箱行きだけにはなりたくないと思っていました。
 長年働いてきた歯車だったのに、いまは外の風雨にさらされてすっかり錆びついていました。本当だったら定年まで無事に働いて、円満退職で仕事を終えたかったのに残念です。職場というところはそんなところです。不平不満をいう者には厳しい処分を下すところです。
 ほかにもいろんな歯車がいました。すっかり仕事に洗脳されたある班長の歯車は実にまじめで、この工場の中でも一番の働き者ですが、堅物で仕事の話しかしないのです。いいえ、仕事の話しかしないというよりも、仕事の話しか出来ないのです。見方によっては職場の規則と仕事にしばられたあわれな単純な存在です。
 自分の知らない話題が出ることを酷く恐れます。だから仕事以外のことを口にすると嫌な顔をします。だから、この歯車とは世間話も冗談も通じません。仕事の時間が終わってさえも、相変わらず仕事の話ばかりで、聞いているみんなは疲れてしまいます。
 この班長の歯車は、一年後に昇級してとなりの工場へご栄転になりました。みんな堅物のうるさい班長がいなくなって、グチでもこぼすのかと思いましたが、まるで正反対で、班長とそっくりな話し方をしたり、動き方をする歯車が出て来て、これには本当に驚きました。
 また別の歯車は、細身の身体には似合わないひどい酒飲みでした。まるで酒の力で長年働いてきたようなものでした。あと2年で目出度く定年退職になる予定ですが、飲酒のせいで、いまでは骨と皮のようになってずいぶん痩せこけていました。だから、とても退職後は長生き出来そうもありません。いつも酒の匂いをぷんぷんさせていましたが、よく働いていました。
 その歯車とは対照的な歯車もいました。その歯車は、よく仕事中にぼんやりと空想に耽ける癖があり、よく班長から叱られました。本当だったらこんな薄暗い機械の中よりも、広々とした野外での仕事を夢見ていました。退職したら、田舎で静かに余生を送りたいと思っていたのです。
 ある日、工場長がやって来て、「工場にたくさん仕事が入ったから夜間も機械を作動させる」といいました。昼間も働いたうえに、夜も働かされるのです。機械たちは、眠い目をこすりながら働き続けました。
 文句をいう歯車なんかハンマーで叩かれました。それでも文句をいうと、「上からの命令だ。不平をいう奴は解雇だ」といういつもの決まり文句です。
 ある夜、この歯車は、休み時間にぼんやりとこんな夢を見ていました。それは何十年も昔、となりの町の歯車工場の溶鉱炉で、新品の歯車としてこの世に生まれたときの思い出でした。
 たくさんの新品の歯車たちと一緒に、あるお天気のよい日に、工場の中庭に積まれて、身体の熱を冷ましていました。
 この歯車を作る工場のすぐそばには、透き通ったきれいな小川が流れていて、その小川の向こうには、今では珍しい水車が回っていました。
 水車の周囲にはたくさんの花畑があって、春の日には、もんしろちょうやミツバチやテントウムシなどが飛んでいました。水車の歯車たちは、いつも花の香りをかぎながら、みんな楽しそうに回っていました。歯車たちはみんな年を取っていましたが、ずいぶん長生きでした。
 工場の中庭に積まれた歯車たちは、自分たちも、これからはあの水車のような所で働くのだと思っていました。そして仕事というのは楽しみながらするもので、せかされたり強制されてするものではないと思っていたのです。仕事が終わって夜になると、あの水車のように、キラキラと美しく輝く星を見ながら眠るんだと思っていました。
 しかし、ここではそんな生活はとうてい無理でした。ここでは厳しい規則と過酷な労働があるだけでした。
 太陽の光も当たらず、虫の声も聞こえず、あるのはただ決まりきったいつもの号令の声だけでした。
 半年ほど、工場の機械たちは昼も夜も働かされました。そんな状態ですから、あちこちで調子が悪くなる機械が出てきました。
 ぼんやりした空想癖のある歯車も、あるとき不注意で、からだにひびが入ってしまったのです。これでは歯車として役にたちません。工員がそれを見つけて、「これはいかん取り換えだ」といいました。
 歯車は、すぐに取り換えられました。仲間の歯車ともお別れをして工場の中庭のゴミ捨て場に放り込まれました。
 それは不名誉なことだったかもしれませんが、その歯車にとっては自由の身にもなったので、気持ちがなんだか晴れ晴れとしました。もう工場の中の喧しい騒音を聞くこともありません。
 このゴミ捨て場も薄暗い場所でしたが、空も外の景色もよく見え、そばの田んぼからは、カエルの鳴き声なども聴こえてきました。
 長い間光を見なかったせいか、太陽の光がまぶしくて、はじめはとても目を開けていられませんでした。でも、せっかく過酷な仕事から解放されて、どこかへ行ってみたくなりました。
 そんなある夜のこと、その夜は月明かりの晩で、のんびりと歯車が月を眺めていると、どこからか明るい光を点滅させた何匹かのホタルが、工場の中庭へ迷い込んできました。この工場のそばに小川があることを思い出しました。
 ホタルの一匹がゴミ捨て場のすぐ近くへやってきました。
「君はどこからやってきたんだ」
 歯車が聞くと、
「あの林の向こうからさ」
「そう、おれも君みたいに羽があったら、どこかへ飛んでいきたいなあ」
歯車は呟きながら、ホタルたちの明かりをいつまでも見ていました。
 朝になると、工場からはまた慌ただしい騒音が聞こえてきます。生まれてきてからこれまであの中で自由のない暮らしをしてきたのです。仲間の歯車たちは恐らくもう外の世界を見ることもなく狭苦しい工場の中で一生を終えるのです。
 ある晩、眠っていた歯車は、こんな夢を見ました。風が吹いていたので、目を覚ますと、田んぼの向こうの海岸から、風車の回る音が聞こえてきます。同時に自分の身体が宙に浮いて、明るい灯をともして、田んぼの上をゆっくりと飛んでいるのを知りました。
「あれ、ふしぎなことだ」
 ホタルになった歯車は、田んぼの上をゆらゆらと飛びながら、やがて海岸に建っている風車の方へ行きました。真っ暗な海岸の向こうに見えてきたのは、風力発電用に建てられた巨大な風車でした。
 みんな風を受けて、ゆっくりと回っていました。風車のある場所から広い海が見えて、爽快な眺めです。
 ときどき海の向こうからカモメが飛んできて、風車に遠い国々の面白い話をしたりしました。風車はいつも楽しそうに笑って聞いていました。
 この職場にはノルマも仕事の達成を示すグラフも、怒鳴り散らす班長もいないので、みんな快適に健康的に働いていました。
 ホタルになった歯車も、風車のそばで、カモメの話を一緒に聞きながら、自分もこんなところで働いてみたかったなあと思いました。 







(未発表童話です)



      

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