2016年3月24日木曜日

野良犬と銅像

 前橋市の前橋文学館の正門前に、詩人の萩原朔太郎の銅像が建っています。 和服姿で腕を組み、いつもぼんやり考え込んだような様子で広瀬川の桜の木を眺めています。いつこの像が建ったのか私は知らないのですが、よく散歩がてらにこの像の前を通ることがあります。
 ある晩秋の夕暮れ時、住所不定の野良犬がこの銅像の前を通ったとき、どこからか変な声が聞こえてきました。
「ああ、今夜もよく冷えるなあ、寒くってしょうがない」
 野良犬はきょろきょろとあたりを見渡しましたが人の気配はありません。不思議だなと思ってまた歩きだしたとき、
「こんな夜は、熱燗が飲みたいなあ」
 見上げると、しゃべっていたのは、そばに建っている銅像でした。夏服の和服で、靴下もはいてない下駄ばきで、ずいぶん寒そうです。
野良犬は、お金でも落ちていたら、拾ってきてあげようかなと思いました。
 ある日、繁華街を歩いていたとき、財布が落ちていたので夜になってから銅像のところへ持っていきました。
「どうもありがとう。だけど財布の中には、ちゃり銭しか入ってないな。これじゃ飲み屋に行けないしなあ」
 銅像がかっかりしていると、野良犬が和服の裾をひっぱりました。どこかへ連れて行ってくれるみたいです。あとをついて行くと、広瀬川の向こう岸に、お酒の自動販売機がありました。そこにワンカップ酒が売っていました。
「そうだった。これがあった」
 銅像は、お金を入れてボタンを押しました。
そして栓をぬいて、おいしそうに飲みはじめました。
「ああ、うまい、久しぶりの酒だ」
 こんなことがそれからも何回かあり、銅像は野良犬と一緒に夜の散歩に出かけるようになりました。
昔と比べると、町のどの通りもすっかり変わっていました。すずらん通りのお店も知らない店ばかりで、子供の頃によく行った駄菓子も今はありません。
 あるとき、銅像はふと呟きました。
「久しぶりに、自分の家を見たいなあ」
 銅像が住んでいたのは、千代田町の2丁目です。この文学館から歩いて15分ほどの距離です。歩いていくと、千代田町2丁目のところに交差点があり、信号を渡るとすぐそばに高いビルが建っていました。銅像は首をかしげました。
「変だな。自宅はこのあたりだと思ったが、道を間違えたかな」
 ふと、目の前を見ると小さな石碑が建っていました。
―詩人・萩原朔太郎生家跡―
「ありゃ、家が無くなっている。困ったな」
 銅像ががっかりしていると、野良犬がとなりの看板を見ろと吠えました。そこにはこんな文章が書かれていました。
―詩人・萩原朔太郎の生家の一部(蔵、離れ座敷、書斎)は現在、敷島公園ばら園の中に移設されているー
「そうか。ありがたい。じゃ、敷島公園まで行ってみよう」
銅像と野良犬は歩き出しました。
 この石碑のある通りは、昔も裁判所があって、「裁判所通り」と呼ばれていましたが、現在では「朔太郎通り」と標識が立っています。銅像は標識を見ながら、自分も死んでからずいぶん有名になったものだなあと思いました。
 やがて向こうの方に前橋公園が見えてきました。最近、公園の中は新しく改装されて、ベンチも木製のものからプラスチック製になっていました。
 公園の中へ入っていくと、静かなベンチに腰掛けました、昔、銅像はここに座って、文学雑誌に発表する詩を作ったり、マンドリン倶楽部のための楽譜のアイデアを考えたりしました。
「あの頃はいろんな詩も書いたし、たくさんの楽譜も出来た。この公園のベンチに座って、いろいろとイメージを膨らませたものだ」
 銅像がそんな思い出に耽っていたとき、向こうのベンチのところで若い男が寝込んでいました。乞食かなと思いましたが、身なりは普通なのでそうでもなさそうです。
「世の中はいま不景気だと聞いている。リストラや、非正規労働者の数が増えて、特に若者の就職難が続いているという。わたしも生きていた頃は定職がなく、おまけに詩人という人に理解されない仕事をやっていたので、ずいぶんと肩身の狭い人生を送っていたからなあ」
 銅像は呟きながら、やがてベンチから立ち上がりました。
前橋公園のそばを利根川が流れています。
 銅像は、利根川沿いを歩きたくなってきました。国道6号線の歩道を、野良犬を連れて歩きました。ひんやりとした月明かりの夜で、川は昔と変わらず勢いよく流れていました。
 行く手に橋が見えてきました。昔、よく渡った「大渡橋」とは別の橋でした。
「昔は、こんな橋は無かったのに、新しく架けられたものかな」
 橋を通り抜けると、向こうの方に「大渡橋」が見えました。昔は鉄橋のごつごつとした巨大な橋でしたが、今は、すらりとした近代的な橋になっていました。
 やがて「大渡橋」の下を通り抜けると、利根川の遠方にうっすらと雪をかぶった越後の山々が見えました。右手にはすそのの長い赤城山、左手には榛名山と妙義山が見え、その遠方には浅間山も見えます。
冬の季節は、あの越後の山を越えて、日本海側で雪を降らせた冷たい乾燥した風がこの群馬県の平野に流れ込んできます。この風のことを「からっ風」と呼びますが、今も昔も変わらないこの地方の冬の名物です。
 利根川の向こう岸は、たくさんの家々が並んでいて、昔とずいぶん景色が違うなと銅像は思いました。昭和のはじめの頃は、川向こうは畑と田んぼばかりが広がった寂しい土地でした。それが今では、見違えるくらい変わっているのです。
 やがて向こうの方に敷島公園の松林が見えてきました。この公園は前橋でいちばん大きな公園です。松の木と桜の木がどこまでも続いていました。
「久しぶりだな。さあ、中へ入ってみよう」
 銅像と野良犬は、静かな公園の中へ入って行きました。この公園の北の方角へ歩いて行くと、ばら園があるのです。街灯のほとんどない公園の中は真っ暗です。まるで幽霊でもでそうな気分でした。
 やがて敷島公園の池までやってきました。この場所には街灯がついているので、夜でもずいぶん明るいのです。池にはカモ池があって、カモたちは岸辺でみんな眠っていました。池の船着き場には手漕ぎボートのほかに、ハクチョウの形をした白く塗られたボートなどもありました。
 カモ池を過ぎてさらに歩いて行くと、やがてばら園の門の所へやって来ました。ばらが美しく咲く季節になるとこの場所はまるで別世界になります。鮮やかなばらの花がこの場所一面を覆い、ばらの香りがあちこちに広がります。
 ばら園の中へ入ってしばらく行くと、行く手に、見覚えのある蔵が見えてきました。
「ああ、あれだ。私の家の蔵だ」
 銅像は、野良犬に指差していいました。
その場所までやってくると、小道のところに「萩原朔太郎記念館」と書かれた小さな看板が建っていました。
敷地の中に入ると、右手に、現在は資料室になっている「蔵」があり、中央に「離れ座敷」、そして左手に白壁の4畳半くらいの広さの「書斎」が建っていました。「書斎」の内部は、当時としては珍しい西洋風の作りでした。
「ずいぶん、久しぶりだ。若い頃はこの書斎の中でたくさんの詩を書いたものだ。それにマンドリンもよく弾いたものだ」
 銅像は、懐かしそうに独り言をいいながら、書斎の中を覗いて見ることにしました。ドアを開けると、薄暗い部屋の中には、当時のままの机と椅子が置かれていました。机の上に、原稿用紙と鉛筆が置いてあったので、何か書きたくなってきました。しばらく考えてから、やがて書き始めました。それは詩のようでしたが、野良犬にはぜんぜん分かりませんでした。
 銅像が書き終わって満足げに微笑したとき、窓の外が明るく光りました。びっくりしてカーテンを開けてみると、それは車のライトでした。この記念館の横は国道で交差点があるのです。
「驚いた。雷かと思った」
 銅像は、書斎から出て行きしました。外の冷気でくしゃみが出ました。記念館の敷地の中央に詩碑が建っていました。詩碑には自分の詩が彫ってあります。「帰郷」という詩でした。
 銅像はその詩を読みながら、
「あの頃はずいぶん憂鬱な詩を書いていたなあ」
思いながらやがて銅像は記念館から出て行きました。
 敷島公園を出てから、国道を南の方角に向かって歩いて行きました。
 やがて昭和町の国道の歩道を歩いていたとき、時計塔のある前橋地方気象台が見えてきました。建設されたのは今から100年以上も昔の明治29年で、当時は前橋測候所と呼ばれていました。
 職員の中に自分の詩の愛読者だという人がいて、散歩の途中、ときどきここを尋ねて天気予報を聞いたことがありました。その職員は子供のお話を書くのが趣味で、毎月、児童雑誌に童話を投稿していましたが、一度も採用されずに落ち込んでいたので、専門外でしたが何度か原稿を見てあげたことがありました。
 気象台を通り過ぎてから、昭和町の小道をさらに南の方角へ歩いて行きました。この界隈は迷路のようなのでよく道に迷いました。「猫町」という短篇小説は東京に定住したとき書いた小説ですが、アイデアはこの界隈を歩いていたときに思いつきました。
 ある角を曲がった時です。電信柱のうしろから誰かに声をかけられました。びっくりして振り向くと、警官が立っていました。
「こんな時間に何しているんだい」
 警官は、いまどき和服姿で、それも夏服で歩いている人物に不信を感じて職務質問したのです。
「いえ、ちょっと」
「家はどこなんだい」
「千代田町です」
「何丁目だね」
「2丁目です」
「仕事は何してる」
「いまは無職です」
「こんな時間にどこへ行くのだね」
「いえ、ただ散歩してるだけです」
 警官は、いろいろ尋ねてきましたが、不審者でもなさそうなので許してくれました。
銅像は、また警官にでもあったら大変なので、早く散歩を切り上げようと思いました。
 やがて千代田町の広瀬川の流れている所までやってきました。もうすぐ前橋文学館があります。一軒の画材店の壁に、「朔太郎音楽祭案内」と印刷されたポスターが張られていました。
「いや、驚いた。わたしを記念して作られたマンドリンの音楽祭か。一度、聴きに行きたいな。でも昼間は出かけられないしな」
 銅像はがっかりしましたが、毎年、前橋文学館の前では、秋になるとギターやマンドリンの路上コンサートが開かれるので、いつも楽しく聴いているのです。
 店を通り過ぎて向こうの空を見上げると、うっすらと空は明るくなり始めていました。
銅像は、財布を取り出して、近くの自動販売機でもう一本、お酒を買いました。
「さあ、夜が明けそうだ。今夜は楽しかったな」
 前橋文学館の所へ戻ってきた銅像は、いつもの場所に立ちました。
そしてお酒をちびりちびりと飲みながら、
「明日の晩は、どこへ出かけようかな。南町の前橋刑務所の方へ行ってみようかな。それとも若宮町に建っている「才川町」の詩碑を見に行こうかな、前橋の町にはわたしの詩碑のほかにも、友人の萩原恭次郎君や高橋元吉君の詩碑もあるからそれらも見てみたいな」
 銅像は独り言を呟きながら朝になるのを待っていました。しばらくすると野良犬もどこかへ行ってしまいました。
 




(つるが児童文学会「がるつ第36号」所収)


0 件のコメント:

コメントを投稿