2015年12月17日木曜日

絵師とゆうれい

 田舎から江戸へ出てきたひとりの腕のよい絵師がいた。仕事をするのに都合のよいどこか静かで安い借家がないものかと、毎日あちこち探し歩いていた。
 ある日、うってつけの借家を見つけると、その家に住むようになった。絵師は、毎日のように畳の上に和紙を広げ、墨をたっぷり含ませた筆を使って注文の絵を描いていた。
 ある日、用があって家から出て行くとき、近所のおかみさんたちがこんな話をしているのを耳にした。
「この家の人は知っているんだろうかねぇ、この家がゆうれい屋敷だってことを」
「声が大きいよ。知ってるわけないさ、だから借りたんだからさ」
 ある晩、絵師が仕事を終えて眠っていると、どこからかしくしくと淋しげにすすり泣く女の声が聞こえてくるので目が覚めた。
なにげなく障子に目をやると、月の光に照らされた障子に若い女の影が映っている。
その影は、じっとその場に立ちすくんだまま、部屋の様子をうかがっているようだった。
「そこにいるのは、誰じゃ。わしに何か用でもあるのか」
 絵師の声に驚いたのか、その女の影はすうーっとどこかへ消えてしまった。
 次の晩、やはり絵師が仕事疲れで眠っていると、妙に生暖かい風が自分の顔をすうすうと吹き抜けていく。
ふと、目が覚めると、部屋の障子が半分開いたままになっている。泥棒が入ったのかと思い、薄暗い部屋のまわりを見渡したとき絵師は驚いた。部屋の隅に、見知らぬ若い女が淋しそうに座っているのである。
ふしぎなことに、女の腰から上ははっきりと鮮明に見えるのだが、腰から下の方は薄ぼんやりとしか見えなかった。
「あんたはいったい誰じゃ。わしに何か頼みたいことがあってここへきたのじゃろ」
 絵師の言葉をきいて、若い女は小さくうなずいた。
「どんなことが頼みたいか話してみなさい。わしに出来ることがあったら手助けしてあげよう。あんたの話は誰にもいわんから」
 絵師のやさしい心づかいに、女は安心したのか自分の身の上と頼みごとを話しはじめた。
 女の話はこうだった。女はむかし、この家で暮らしていたひとり娘だったが、身体が弱いうえにとても内気でいつも外へは出なかったという。
 毎年の浅草のお祭りにも行けず、ひとり淋しく家の中で寝ていたのだった。ある年この娘は、十九のとき病気で亡くなったが、あの世へ行く前にどうしても浅草のお祭りが見てみたい。にぎやかな表通りを歩いて金魚すくいや、花火を見てみたい。けれども女には、どうしてもお祭りへ行けない事情があった。
 女は、話しながら絵師の方へそっと顔を向けた。女の顔には目も鼻も口もなかった。
絵師はその顔を見て驚いたが、すぐに気を取り戻すと、その気の毒な娘を救ってやろうと思った。
「わしにまかせておきなさい」
 そういって、すずり箱を取り出すと、細い筆で心を込めて美しい顔を描いてやった。
「これでもうだいじょうぶだから、明日のお祭りに行ってきなさい。そして、祭りがすんだら安心してあの世へ行きなさい」
 美しい顔立ちになった女は、絵師の言葉をきいて丁寧にお礼をいうと、すうーっと部屋から出て行った。そしてその後、女のゆうれいはこの家にやってくることはなかった。





(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)


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